先日、買い物に行くために車を運転していた時のことだ。
隣の車線を走っていた、とある車のリアウィンドウに、“土佐犬”の愛好会のメンバーであることを表すステッカーが貼られていることに気が付いた。
私は全く土佐犬について詳しくないため、度々人に噛みついてニュースになる恐ろしい闘犬という認識しか持ち合わせておらず、その土佐犬を愛好している方というのはどんなタイプなのか非常に気になり、追い越し様にちらりとその車の運転手の顔を確認してみた。
その瞬間、私は驚きで『うわっ!!』と一人声を上げてしまった。
その車の運転手が、土佐犬ご本人が車を運転しているのではないかと見まごうほどの見事な土佐犬顔だったからだ。
“土佐犬”を愛好している方がみな土佐犬顔だとはもちろん思わないが、私の見かけたこの運転手は土佐犬を愛するがゆえに確実に見た目が土佐犬に寄ってきているに違いなかった。
それで思い出したのが、以前に動物園でライオンの飼育の担当をしている男性がテレビで取材を受けていた時のことだ。
その時のライオンの飼育員さんも、顔がものすごくライオンに似ていた。
取材をしていたリポーターからも、『すごいライオン顔ですよね?!』とツッコミを入れられていたのを覚えている。この飼育員さんも、おそらくライオンにとても愛情を持って仕事をしているのだろう。
愛情をもっているもの、大好きなものに似てくるというのは実際にあることなのだと思う。
それと同じように仲良しなご夫婦が、血もつながっていないのに顔が似てくるという話もよく聞く。以前、朝の情報番組でコラムニストの犬山紙子さんがご夫婦のツーショット写真を公開されていたがその写真のお二人があまりにそっくりで驚いた。そのとき犬山紙子さんご自身も、『昔は似てなかったんだけど・・』と仰っていた。
こんなに似ているって、よほど仲良しなご夫婦なんだろうなぁと気になって調べてみたら、
それもそのはず犬山紙子さんはやはり夫婦円満の秘訣などたくさん発信しておられる仲良しご夫婦であった。
犬山紙子さんの記事をいくつか読んでみると、初めから何の問題もない仲良しだけの夫婦だったわけではなく、夫婦間で抱える問題のためにカウンセリングを受けたり、お互いに歩み寄る努力をしていることがわかった。
同様にきっと土佐犬顔の運転手は土佐犬に愛情をもって歩み寄り、ライオン顔の飼育員はライオンを理解しようと日々向き合って努力しているのだろう。
子供のころ、よく遊びに行っていた仲良しのお友達のお宅の玄関に1枚の色紙が飾られており、淡い色合いの野菜の絵の横に『仲良きことは美しき哉』という言葉が添えられていたことを思い出す。
当時は全く意味もわからず、これなんだろう?くらいの感想しかもっていなかったが
大人になって調べてみると、これは武者小路実篤の有名な言葉であることがわかった。
『仲良きことは美しき哉』だなんて、ただの理想論だと批評する人もいるそうだが、
原点に返って考えてみると、この言葉には強く首肯させられる。
そう強く感じたのが人気グループ嵐の活動停止の発表会見を見た時だった。
大野君が「自由に生活がしたい」と打ち明けたことから嵐は活動を停止するという結論に至ったようだが、何も知らない他人からすると一見わがままに見える大野君の主張に、グループのメンバーが真剣に向き合って答えを出したという経緯や、会見中の仲の良さが伝わる空気感を見て、本当に美しいと感じた。仲が良いことって、はたから見ても美しいものなんだ、と心から実感した。
長年『嵐』の大ファンである親友にいくら勧められても嵐に興味を持たなかった私であるが
この会見には感動してしまったほどだ。
さて、ここまで散々他人様について語ったあとに言うのもなんだが、私たち夫婦の顔は全く似ていない。結婚前から含め出会ってから20年ほど経つが、似てくる気配すら微塵もない。
私は常々、仕事、子育て、家事と私の負担している分量が主人よりはるかに多過ぎるのに、その事実を認めて労わりの言葉のひとつさえかけてこない主人に不満を募らせ
くそ!また私だけ忙しいわい!
あんただけ自由に過ごしやがって(怒)!!!
等々の不満を心の中で炸裂させては、超高速で皿洗いをしながら般若(はんにゃ)のような形相で舌打ちをしている。
忙しくてもいい。ただ、感謝の言葉のひとつでもかけてもらえたら満足なのに!!!
そして、優しいご主人がいるお友達が、『お茶出すだけでいつもありがとうって言ってくれるよ』などと言うのを聞いては
キー――――!!!!
どこぞの異星人だそんな素敵なこと言えるのは!!!
ぜひご主人の爪の垢の販売を!!!!
などと地団駄を踏んでいる私がいる。
だがつい先日、主人の方から
『いつからそんな言い方するようになったの?昔はそんな言い方しなかったよね!?』と
しみじみ言われた言葉に、ハッと我に返り猛省したのである。
その日、朝からPCに向かっている私に近づいてきた主人に私が発していた言葉は
「踊ってんじゃねー!」
「早く座れ!」
「ぶっ飛ばすぞ!」
の豪華三点セットであった。
気付けばその後は何か言われるたびに全て「ぶっ飛ばすぞ!」と返事をしていた。もはや、相槌が「ぶっ飛ばすぞ!」である。
恐らく、主人はもうなにもしてくれなくていい。私が全部やるからいい。と諦めた先に「何もしなくていいから邪魔もしないで欲しい」という気持ちがあり、つい忙しさにイライラした時などにその気持ちが私の喉のフィルターを通し汚い言葉となって量産され、漏れ出てしまうのだろう。
忙しくPCに向かっている私の元に呑気に踊りながら登場した主人を肯定するつもりは毛頭ないが、私の相槌が「ぶっ飛ばすぞ!」の一択であるにもかかわらず、相手にだけ『感謝の言葉のひとつでもかけろ』などと求めてもたやすく叶うはずはない。
『仲良きことは美しき哉』。
これを機に、私も喉の汚れ切ったフィルターを交換し、優しく『ぶっとばすわよ』と伝える・・・いやいや、優しく「〇〇してくれてありがとう」など小さな感謝から伝える努力をしなくちゃいけないな・・。
自分が感謝してもらえるのはそのあとかもしれない。そんなことを考える梅雨空の土曜の昼下がりであった。
追記:この記事をアップしようとしたその瞬間に部屋に入ってきた主人に、自動的に「ぶっ飛ばすぞ」と言い放った自分に気づき、この問題の根深さを改めて痛感している。