エッセイ

四半世紀前か!ドキドキバレンタインデー

気づいたら、今年のバレンタインデーも何事もなく終わっていた。

テレビの情報番組などで今年のバレンタインの流行、などの特集は何度か目にしたが
そこで、やっとそんな時期かぁ。くらいの意識が芽生えるくらいのレベルであり
そんな特集をみても『うわぁ。美味しそう。。』『食べたい。。しかし、高ッ』くらいの感想になってしまい
この素敵なチョコレートを誰かに渡したい!などという感情は今更沸いてくる気配すらない。

そしてバレンタインにだれにもチョコを渡さない私に
ホワイトデーに何かしらのお返しがもらえるわけなどなく
日々の忙しさにホワイトデーの存在自体が忘却の彼方…状態である。

しかし、私も生まれつきこんなトキメキのないアラフォーだったわけではない。

バレンタインという大チャンスに全身全霊をかけ、
運動器具の中で回転し続けるハムスターのように
全力で空回りな恋に突っ走っていた純粋無垢な青春時代が
こんな私にもちゃんとあったのだ。

片思い開始!

あれは中学1年生のある日だった。
私は同じ学校の1つ上のバレー部の先輩に一目ぼれをしてしまった。

大人になった今、冷静に考えれば、
一目ぼれほどあてにならないものはない。
なぜ一度もまともに会話したこともない相手のことを、
姿を見ただけであんなに好きになれるのだろうか。

恋の病とはよく言ったものだ。

廊下でたまたま見かけるその先輩の姿を目に焼き付けては
胸が締め付けられるほどドキドキしてみたり、
目が合うとポ~~となったり
誰か他の女の子と話しているのを見かけると
切なくなったり悲しくなったり。。。

今の私だったら、
あまりの脈の乱れに心臓疾患を疑って病院で心電図をとり
毎晩、自律神経失調症の薬を服用しなくてはいけないレベルの不安定さである。

片思いは私が中学2年生になっても勢いを止めることなく続行していた。

毎晩毎晩、プリンセスプリンセスの曲を聴いては
自分のくだらない恋に無理やり紐づけし、感傷にひたるというルーティーンで
無駄な涙を流し不毛な時間を過ごしていた。

学校では、好きな先輩が給食当番の時に、片付けのために給食の食缶を運んでくる、
その食缶を受け取る瞬間のためだけに給食委員をかって出て、
毎日ドキドキしながら待っていた。ドキドキして待っていても、先輩が持ってくるのはクラスメイトの残飯のみなのだが
そんなことはどうでもよかった。
とにかく話す勇気もなく、自分の存在をそれとなく主張するくらいでいっぱいいっぱいだった。

そんなある日、同級生のある男子が、
私が片思いをしている先輩のいとこだという事実が発覚したのだ。
これは私の中では大きな衝撃であった。

なぜなら、先輩のいとこであるというその男子は、
ケガをした子の傷や血などをみると倒れてしまうという、
超繊細キャラだったからである。

私の好きだった先輩は運動神経抜群で男っぽくて色黒のバレー部のキャプテン。
いつも青白い同級生のいとこの男子とは全くイメージが合わなかった。

しかしそんなことを言っている場合ではない。
さっそく、先輩のいとこである青白い男子に協力をあおいだ。
すると、なんといとこは『お正月に親せきで集まるから、写真とってきてあげるね』
と快諾してくれたのだ。

えェ?!あなた神ですか!! ヽ( ຶ▮ ຶ)

当時は携帯で写真を気軽に撮ったり送ったりすることもできなかった時代。
好きな先輩の写真をゲットするなんぞ、夢のまた夢だったのだ。
原宿でジャニーズアイドルのブロマイドでも手に入れるほうがはるかに簡単だ。

いとこ男子に手を合わせ、くれぐれもよろしくと頭を下げ、冬休みを迎えた。

しかしお正月明け、いとこ男子がもってきてくれたのは
全体がブレブレで顔の判別すらできない人物が写った写真1枚のみであった。
はっきり言ってこんな写真、先輩じゃなく、
お正月に居合わせた親戚のおじさんの可能性だってある。

いや、彼は写真を撮るのに失敗したのにもかかわらず
私からの圧を強く感じ過ぎ、素直に『写真が撮れなかった』と言えなかったのかも知れない。

万が一、これが本当に親戚のおじさんのブレブレショットなら・・・。
私は“好きな先輩の親戚のおじさん”の写真を生徒手帳に入れて
持ち歩いてドキドキしている、というおかしな状況に陥る。
これは私にとっても親戚のおじさんにとっても大変不本意なことだ。

まじか。。
いや、ううん、ありがとう。。

こんなこと頼んだ私が悪いのだ。
青白くんに、新年早々余計な心労を与えてしまった。
もう人に頼っている場合ではない。

こうなったら2か月後のバレンタインで、思い切って告白してみようッ!!

中二の私は1年間の片思いに決着をつけるべく、一大決心をしたのであった。

不毛な片思いに決着!決戦はバレンタインデー

片思いの中二女子の考えるバレンタインといえば、もちろん手作りチョコレートである。
チョコを溶かして型に流すという、
“チョコの形を変化させただけ”と言われればそれまでの一品だったが、
一生懸命に製作した。

そして、ありったけの勇気を振り絞り、先輩の家に電話をかけると
バレンタイン当日の夕方6時に、指定した場所に来てくれるよう、呼び出した。

あとは覚悟を決めて待ち合わせ場所に向かうのみ!!

のはずだったのだが・・・。

ここで思わぬハプニングが待ち受けていた。

風が強すぎるのである。

風が強すぎて、待ち合わせ場所にたどり着けないのだ。

おいおい、風が強いだと?そんな大事な日に、なめてるのか?
今、皆さんはそう感じたのではないだろうか。

バレンタインあたりはまだ冬の気候、
北風が強くて当然。
♪北風ピューピュー吹いている―♪
という冬の童謡くらいの雰囲気だと思ったのではないだろうか?

………….

私の父はとても転勤の多い保険関係の仕事についていたため
私は幼少期から関東地方を数年おきに転々としていた。

そしてまさに中二のバレンタイン当時、
私は“空っ風(からっかぜ)”で有名な群馬県に住んでいた。

改めてウィキペディアで調べてみると
【からっ風(空っ風、からっかぜ)とは、主に山を越えて吹きつける下降気流のことを指す。
・・・特に群馬県で冬に見られる北西風は「上州のからっ風」として有名で、
「赤城おろし」とも呼ばれ、群馬県の名物の一つとも数えられている。】
とある。

この空っ風が、みなさんの想像のななめ上をいく、とんでもない破壊力なのだ。

“空っ風”なんて群馬名物アピールしてるけど
T.M.レボリューションのPVくらいか?などと、安易にお考えだろうか。

だとしたら、それは大間違いである。

実際の“空っ風”は、まさに、
芸人が挑む風速実験と同じレベルなのだ。

この話を群馬県民以外の友人に話すと
話盛り過ぎ!という扱いを受ける。

悔しいので今回あらためて空っ風をネット検索してみると

「高校生の自転車通学はこの影響をモロに受け、漕いでいるのに
前に進まない、という不思議な現象が起きたりします。 」
(上毛かるたで群馬県ガイドより)

「高崎の高校通っていましたけど、
自転車通学の同級生が突風にあおられて土手を転げ落ち、
擦り傷だらけで登校してきたこともあります。。。
」(ヤフー知恵袋より)

など、恐怖の空っ風現象を報告している記事が多数みつかった。

ここまでの自然現象が今だに他県の人々に知られていないのは
群馬県の宣伝不足なのではなかろうか。
…………

それはさておき、
一世一代の大決心をしたバレンタイン当日。

あまりの風の強さに、自転車の立ちこぎで挑むもそのまま横に倒れるという
コントレベルのジタバタを数十回繰り返し
やっとの思いで泣きながら待ち合わせ場所に辿り着いた私は
万感の思いを込め、1年間片思いした先輩へ
手作りチョコレートを無事配達したのであった。

そして1か月後のホワイトデーに先輩に告げられたのは、
『遠くの高校に行くことになったからごめんね』、であった。

1年間、あんなに切なく片思いしていたというのに、
なぜか振られて悲しいという気持ちはもう全く浮かんで来なかった。

おそらく、あのバレンタインにチョコレートを渡そうとした大決心と、
待ち合わせの場所にたどり着くまでの空っ風との戦いで
自分の中の何かが完全に燃え尽きたのだと思う。

あの風に立ちむかい、チョコレートを渡すことが最終目標になってしまい
そのミッションをクリアしたことで、色々と吹っ切れてしまったようだ。

振られてもけろっとしている自分に逆に驚き
目をシパシパさせて涙を振り絞ろうとしたが
不思議と全く泣くことができなかった。

こうして私の大片思いは幕を閉じたのであった。

それから2年後の夏休み、街中のカフェで友人と待ち合わせをした際
カフェの窓から、偶然その先輩が街を歩いているのを見かけた。

感想は、『あれ・・。私なんであの人すきだったんだろう笑』であった。

だからいわんこっちゃない。

一目ぼれの恋など、インフルエンザやノロウイルスと大して変わらない
一過性の【病】なのである。

これが私の中で最も印象に残る、バレンタインとホワイトデーの思い出だ。

トキメキバレンタインデーをもう一度!!

久しぶりにこんな青春を思い起こしてみたが
ここに書いた全ては、すでに四半世紀も昔の出来事である。

私にとって、ときめいたバレンタインなど遠い日の思い出となっているが
今、逆にさらにお年を重ねた男女が集う老人ホームなどでは
未亡人のお年寄り同士、熾烈な恋のバトルが繰り広げられているらしい。

私の好きなNack5のラジオパーソナリティ、三遊亭鬼丸さんは
そんな老人ホームのことを【テラスハウス】と表現していた。

テラスハウスか。。

私も70代くらいで、テイラースウィフトの楽曲にのり
テラスハウスの新メンバーとしてやってきて、
恋のバトルなんぞに巻き込まれてみたいものである。

そんなくだらないことを考えているうちに
今年のホワイトデーも何も起こらず過ぎて行ったのであった。

ABOUT ME
富岡紗和子
神奈川県湘南在住、占い師(帝王命術売占い鑑定師・四柱推命鑑定師)ラジオパーソナリティ・エッセイ作家・法人役員(役員暦24年)の富岡紗和子です。 現在、二人の娘を持つ母でありサーフィンとビールをこよなく愛するアラフィフ女子です♪ ⇒ ⇒ 詳しいプロフィールはこちら