私の母は、一般人からしたらあり得ないレベルの天然である。
天然というと、ちょっと可愛らしいイメージをする人も多いと思うが
私は子供時代この超ド級の天然かつ不器用な母をコンプレックスに感じて生きていた。
子供の髪が結べない母・・
そして恐怖の特大給食袋を製作
小学生の低学年のころは、学校に行くために母に髪を結んでもらうのはふつうだと思うのだが、私の母はあまりにも不器用で、母に髪を結んでもらった後に鏡をチェックするとぜったいわざとだろ?と思うほどグチャグチャなのであった。
特に2つ結びなどは結び目の高さも位置もバラバラで、もちろん三つ編みなどというものもできない。
子供心に恥ずかしくて、いつの間にか自分で髪を結ぶ練習をし毎朝自分で髪形を整えて登校するようになっていった。
お母さんに綺麗に編み込みしてもらって登校してくるお友達を見てはうらやましくてため息をついていたものだ。
また、私の通っていた小学校では給食で使うお箸やナフキンを入れておく給食袋は
指定の小ぶりのサイズでそれぞれの家庭でお母さんが作り、
ランドセルの横にぶら下げて登校していたのだが、
何を血迷ったのか私の母が作った給食袋は
ランドセルの大きさとほぼ同じレベルの特大袋で、
しかも私以外の女の子たちは可愛らしいキャラクターやチェック柄や、お花模様などの生地で給食袋を作ってもらっていたのに、
私の給食袋は忍者ハットリ君とシシ丸が描かれておりどう考えても男の子向けのそれであった。
ただでさえどデカい給食袋をぶら下げて悪目立ちしている上、
生地の柄が忍者ハットリ君とシシ丸・・・。
娘の給食袋を作るためにお店に生地を買いに行き、なぜに忍者ハットリ君を選択したのだろうか。
今ほど豊富な生地の種類は売られてはいなかっただろうけど、
まさか店内に忍者ハットリ君一択だったわけでもあるまい。
私も今や二人の娘の母親となり、小学校入学の準備でお店に生地を買いにも行ったが
同じ女の子の母親の立場として、色んな選択肢がある中で娘の給食袋の生地に忍者ハットリ君をチョイスした母の心理状態を改めて謎に感じたのであった。
そして私の通っていた小学校では4年生の時に校舎と給食室の建て替えがあり
その間、給食室が使えず給食が食べられなかったため、生徒たちはみな1年間お弁当を持って学校に通うことになった。
毎日お弁当を作るのは本当に大変なこと。
それは今となっては重々理解できているし、ちゃんと毎日お弁当を持たせてくれたことには本当に感謝している。
だが、母の持たせてくれるお弁当には、いつもお弁当向けではない普通の家庭のおかずが詰められていて
ほとんど毎日お弁当のつゆが袋に漏れ出していた。
そのことを伝えると、お弁当を傾けないで!と注意され
翌日以降も汁気たっぷりのおかずを持たされ、登校していたことを覚えている。
おかず増殖の呪い
そして強烈に心に残っているのは“おかず増殖の呪い”である。
ある日、お弁当のおかずにカニカマの卵とじが入っており、とても美味しかったため
私が『美味しかった』と伝えると、その日から毎日カニカマの卵とじがお弁当に入るようになった。
そして少しづつカニカマの卵とじの面積が増えていく・・・。
やがて他のおかずが入る隙がなくなり、とうとうある日のお弁当で、
二段弁当のおかずの段が全てカニカマの卵とじになっていたのだった。
もう本当にやめてください!(涙)
これがお弁当の前でリアルに頭を抱えた、強烈な“おかず増殖の呪い”である。
天然で不器用な母、アイロンがけなども大の不得意であった。
自分が給食当番だった週には、配膳の時に使った白衣を持ち帰り自宅で洗濯してアイロンがけをして、また学校に持っていくのが一般的だと思うが、母がアイロンをかけた白衣は綺麗にたためておらず、白衣の袋がボコボコに膨らんでいるのだ。
他の子の持ってくる袋はきれいにたたんだ白衣が入っているので当然ぺったんこである。
アイロンをかけてたたんだ白衣を入れているはずの袋が、
なぜうちの母の場合だけボコボコに膨らんでいるのか意味が分からない。
そんなこんなで、この超ド級の天然かつ不器用な母は、幼少期の私の大きなコンプレックスだったのである。
母への理想を諦める
やがて私は、母のおかげでいらぬ恥をかかないようにするため、自分にかかわるだいたいの家事は自分の力でやれるようになった。
母ができない人だと子供がしっかりする、というパターンにはこんなからくりが隠れている場合もあるのかもしれない。
子供のころはこの母が非常にコンプレックスであったが、大人になるにつれ、この人は一生懸命やってもできないんだな・・・と理解し、ある種のあきらめと共に母を観察して楽しむ余裕さえ出てきた。
お母さんの家事が完璧で、子供が逆に何もできないという家庭のパターンもあるし子育てなんて何が正解で不正解なのかわからないものだな・・。と、自分が母親となった今、よく考える。
熱々のこんにゃく事件
私がまだ実家にいたころ、母との忘れられない事件がある。
熱々のこんにゃく事件だ。
私は高校時代から肩こりがひどく悩んでいた。
そんな私のために、母は友達から胡散臭い民間療法を教わりその情報を嬉しそうに持ち帰ってきた。
それは、お湯の中でグラグラと煮込んだこんにゃくを肩にのせ、じっくり肩を温めて血流を改善し、肩こりを解消するというものだった。
まずこの話をもちかけられた時に、
その結果を予測できなかったことは私自身の重大な過失といえよう。
母は早速大きめのこんにゃく3枚をスーパーで購入し沸騰したお湯に投入した。
そしてグラグラに煮立ったアツアツのこんにゃくを、それっとばかり私の肩へ乗せたのであった。
あちィーーーー!!(怒)
こんにゃくを振り払う私。
アワアワする母。
今度はアツアツのこんにゃくをタオルでくるみ、私の肩へ乗せる。
一瞬の静寂のあと、すぐに猛烈なこんにゃくの熱がタオルを突き抜け肩に伝わってくる。
あちィーーー!!(怒)
(`o'”)(`o'”)
こんにゃくを叩き落す私。
私たちは何をやっているのだろうか。
まるでダチョウ倶楽部の熱々おでん芸ではないか。
母の繰り出すアツアツこんにゃくに、ギャラも出ないのに上島竜平並みのリアクションをとってしまった。
なぜ私は母の持ち込み企画にまんまとのってしまったのだろうか・・・。
激しい後悔に襲われた。
考えてみれば、母の友達もいずれ劣らぬ天然揃いなのである。
類は友を呼ぶ、とはよく言ったものだ。
母と同等の天然仲間の発信する情報など、真に受けてはいけない。
冷静になればすぐわかることだ。
自分が母となり、思う事
結婚して実家を出た私は子育てと仕事の両立のため、特に子供達が小さいころには母にたくさん手を貸してもらい、とても感謝している。
今でも母の天然でおかしな言動は続いているが、大人になった私は母のことを『母親』という以前に一人の人間として見られるようになった。
母親だからといって完璧ではないし、
得意なことも不得意なこともある一人の人間なのだ。
私自身、現在母親として、自分の娘たちにはどのように映っているのだろう。
娘たちが大きくなり、あの時は・・などと本音で話せるようになった時、
今の私が気づいていない、私に対する不満なんかもたくさんあるのかもしれないな。
毎朝、娘たちの髪の毛を上手に結びながら、そんなことをふと考える私である。