私は朝、起きると一番最初にコーヒー豆を挽いて、コーヒーを入れる。
そのコーヒーを飲みながらメイクをするのが毎日の習慣なのだが、つい先日いつも通りにコーヒーを入れようとするといつもの場所にコーヒー豆の袋が無い。
無意識に別の場所にしまったのかも?と、食器棚やら冷蔵庫やらを開けてくまなく探してみたが我が家のキッチンからコーヒー豆の袋は忽然と姿を消していた。
まただ・・・。
私はがっくりと肩を落とした。
コーヒー豆の袋は私が捨ててしまったに違いない。
私はこれまでも、捨ててはいけない大切なものを数々葬ってきた。
数日前には、ホームベーカリーでパンを焼くタイマーをかけてから寝ようと思い立ち材料を用意したのだが、ホームベーカリーの中にセットする、生地をこねるための羽根がどこにも見当たらない。
この羽根がないとホームベーカリー自体が使い物にならないため、焦って探しまくった。
どこを探しても見つからず、でもキッチン以外にあるわけない!と血まなこになって探したところなんとこの羽根は生ごみと一緒にビニールに入れてゴミ箱に捨ててあったのだ。
間一髪!!!
もし寝る前にホームベーカリーをセットしようと思わなかったら、翌朝にはゴミとして出してしまうところだった。
以前には、キッチンのシンクのゴミを集めるザルみたいなものを、生ごみと一緒に捨ててしまい、気が付いて慌ててゴミ捨て場に走ったのだが時すでに遅く、ゴミ袋は収集車に持っていかれた後・・という事件も起こしている。
主人からは、生ごみを捨てたあとその流れでなぜザルみたいなもの自体も一緒に捨てるのか理解できないと言われたが、私だって理解できない。
コーヒーを入れたついでに、なぜ豆を捨てるのか?
ホームベーカリーの中を洗ってなぜ羽根を捨てるのか?
理解していたらやるわけがない。
特に朝の大忙しの中で慌てていると本当にろくなことが起きない。
何か物が無くなると、「捨ててしまったのでは・・?!」と、まず自分を疑う始末だ。
捨てていないにしても、携帯や鍵がなくなり必死に探した挙げ句、冷凍庫から発掘されたなどということも一度や二度ではない。
私は何でここまでそそっかしいのだろう・・と考えてみるが、
これは母からの遺伝以外の何物でもないという答えがすでに私の中で出ているのであった。
以前にも母の極度の天然ぶりについては書いたことがあるが、
思い起こせば母も昔から実家のキッチンで問題を起こしていた。
実家にいたころ、何か見たことのない料理がお鍋に入っているのを発見し、母に「これなに?」と尋ねると「わからない」という答えが返ってくることがよくあった。
母が自分で作った料理であることは間違いないが、それが何であるかは「わからない」らしい。夕ご飯に出された炒め物に、しょうゆの中栓が一緒に炒められていたこともあった。
母の天然は昔からひどかったが、私が実家を出るころには天然がますます加速していた気がする。
ある日には調味料の後ろに書いてある使い方の説明文の字が小さすぎて読めないから読んで欲しいと頼まれ、私は長い説明文を読み上げてあげたのだが、ハッと気付いたら母の姿が無い。
私が説明文を読み上げている最中に、母は別の用事を思い立ち、部屋から居なくなっていたようだ。母が居なくなったのに気づかなかった私も私だが、私は一体いつからこの説明文を1人で音読していたのか?言いようのない虚しさが込み上げてきた。
また別の日には、洗面所でわたしがドライヤーをかけていると、
「もっとパワーのあるドライヤー見つけたから、持ってきてあげる」と言われ、それはありがたいと手を止めて洗面所で待っていたのだが、いつまで待っても母が戻ってくる様子が無い。
冬の洗面所はとても寒く、せっかくお風呂に入って暖まった体がだんだん冷えてきてしまった。痺れを切らしたわたしが母を探しに行くと、なんと母はリビングでお茶を飲みながらテレビを見ているではないか。
「ドライヤーは!?(怒)」と聞くと、母は心からのキョトン顔をしていた。なんだそのキョトン顔は!?今はキョトンじゃなくて、ハッとするのが普通ではないのか?
いや、待てよ。
なんだろう・・・
もしかしてだけど・・・もしかしてだけど・・・
♪全ては私が間違ってるんじゃないの〜?と
母と一緒にいると、段々と脳が覚醒され、何が正解で何が間違いかがわからなくなってくるのである。
極めつけは、母の高校時代の同級生が主催しているお芝居を見に2人で電車で出掛けた時のこと。
新宿駅のホームで駅員さんが、電車の発車のための指差し確認をし、まさに車掌さんに笛で合図を出そうとしているその瞬間、母はフラフラこの駅員さんに近づき何やら話しかけてしまった。
慌てて母にタックルをかけ静止したが、駅員さんもまさかそのタイミングで話しかけてくる人がいるとは思わなかったのだろう。
前方を指差し確認し、後方も指差し確認するため振り返った瞬間に、突然パーソナルスペースの侵略どころではない至近距離に立っていた中年女性に、駅員さんはあからさまに困惑していた。
指差し確認業務のルーティンを崩され、母のせいで図らずも挙動不審になってしまっている駅員さんを見て、私は心底申し訳ない気持ちで一杯になったのを覚えている。
その後も、キッチンに小バエがでる!と、突然、昔懐かしいハエトリ紙を天井から何本も吊り下げだし、帰宅したわたしが気づかず小バエより先にそのハエトリ紙にかかるなど、母の天然という名の暴挙により私は数々の被害をこうむってきた。
だから私は、私自身はまともであり、母の天然に振り回されて苦労しているとばかり思って暮らしてきたのだが、気付くと母の血はしっかりと私に受け継がれ、徐々に生活に支障をきたし始めているのであった。
そんな私に母は、
「大丈夫!お母さんだってこれで70年以上生きてきたんだから」と、これまで見たことがないほどの力強さで言いはなった。
私は「だから嫌なんだよ!」と喉まででかかった言葉をぐっと飲み込んだ。
そこを大丈夫と推されてもなんの説得力もない。大丈夫じゃないからまわりが苦労しているのだ。
私は、今後どんなに天然の遺伝に苛まれようと、母のようにまともな人間が手のつけられないレベルの特異な存在にだけはなるまい!意識をはっきり持ってこれ以上の進行を抑制しなくては!!
そう改めて強く心に誓うのであった。