長女が小学1年生の時、パチンコ屋さんの看板に大きく描かれた爆乳の女の子の絵を見て、「私おとなになったら、あんなふうに胸が大きくてかわいい女の人になりたいんだ!」と目をキラキラさせて私に教えてくれたことがあった。
胸の大きさは遺伝だと思っている私はつい爆笑してしまい、「ママがこんな胸なんだから大人になってもあんなに大きくなれないよーー(笑)」と言い放ってしまった。
すると、『いつも頑張れば叶うって言うくせに。。』と長女はしくしくと泣き出してしまったのだ。確かに、いつもそう教えてたけど。。こればっかりは。。私だってしくしく泣きたいくらいだ。
だが、あとで主人にそのことを話すと、『どうしてそんなひどいことを言うんだ!かわいそうに(怒)』と非難されてしまった。
おぅおぅ、ちょいと待ちやがれ。
大人になっても私の胸くらいの大きさというのは“ひどいこと”なのか!?“かわいそう”なのか?自分のその発言こそ、全貧乳女性を敵に回す差別発言ではないか。
たしかに、貧乳の私は日ごろから胸が大きい女性がうらやましくて仕方がない。せめてもうちょっと大きかったらなあ、と鏡の前でゲンナリする毎日だ。
先日、Eカップのママ友が、『私出産のたびに胸が大きくなっちゃって。。ブラジャー買ったらまずパット外すんだぁ、邪魔だから』などと言っているのを聞き
『まさか・・これはママカーストっ・・・も、もしやマウント取られてる!?』とママカーストの意味すらはき違え、心の中でコンプレックス全開の被害妄想を爆発させた。
だがやっと私の口から出た言葉は『外したパットちょうだいよ。。』であった。コンプレックス強すぎるゆえのとんでもない弱気である。
もし貧乳が遺伝するのであれば、将来ツライ思いをさせることを先に娘たちに謝っておこう。。
音痴の遺伝もきびしい
貧乳の遺伝もかなり申し訳ないのだが、最近さらに心配なのは音痴の遺伝である。
私は音楽を聴くのは大好きなのだが、自分が歌うことはめっぽう苦手なのだ。
かなり昔だが、サイパンに旅行で訪れたとき、日の暮れかけた海岸のヤシの木の下で現地の人がウクレレを弾きながらのんびり歌っているのを目撃し、それが本当にものすごくかっこよくて、優雅でステキに見えてしまった。
なんでもない一日を、ウクレレを弾きながら歌って終えるのだ。なんということだ!これぞ私の求めているステキな生活ではないか。
その感動で、つい自分が音痴であることを忘れてしまった私は、私もウクレレ弾いて歌ってみたい!!と帰国後さっそくウクレレと教則本を手にすると、ワクワクしながら当時流行っていた島谷ひとみの【亜麻色の髪の乙女】にチャレンジした。
だが、すぐに現実に引き戻された。
出だしの「♪あまいろの~(ポロロン)」だけで、吉本新喜劇であれば全員がひっくり返るであろうほどの破壊力のある音痴具合だったのだ。
「♪あまいろの~」の、たった5文字で・・・
むしろ自分の「♪あまいろの~(ポロロン)」で自分自身が吹いてしまい、先が続かない。
ウクレレと教則本はそれ以来、二度と手にすることなくしまいこんでしまった。私は笑いを取りたくてウクレレを手にしたわけではないのだ。
また、時々主人との会話のなりゆきで、曲名がわからない楽曲をワンフレーズほど口ずさんで、「この曲知ってるー?」などと聞くことがあるのだが、100%の確率で「演歌?」と聞き返される。
(ジャパニーズポップじゃワレ!)と心の中で悪態をつきながらも、改めて自分の歌唱力の低さを思い知らされる。
音痴が遺伝なら来世にかけるしかない
大人になると、学生時代のように友人とカラオケなどに行く機会も少なくなるため、音痴でも特に生活に支障は少ないのだが、最近次女(6歳)が、“将来ダンスして歌も上手な人になりたい!!”と言いだし、繰り返し好きな歌手の動画を見てダンスや歌を頑張って練習しているのを見ると、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
歌が上手な人は親も上手、歌唱力は遺伝するというのは、有名な歌手を見ているだけでも思い当たる人たちがたくさんいる。
であれば、逆も然りである。
我が家の娘たち、親の私が判断するに、すでにだいぶ歌唱力に難があるように見受けられる・・。申し訳ないの一言である。
だが私だって望んで音痴に生まれてきたわけではないのだ。歌うの大好き!と言えるくらい歌が上手に生まれたかった。
責任は音痴な私を生んだ母にあり、音痴な母を生んだ祖母にあり・・
こうなるとお墓参りでご先祖様に苦情を訴えるくらいしかできないのではないか。
生まれ変わったら、自分の歌唱力にうっとりして、目をつぶって歌っちゃうくらいのうざい人間になりたい。
今世で果たせない夢を来世に持ち込み、自分を慰める私である。