エッセイ

義理の父ススム~その1~

義理の父が最低

突然だが、義父はかなり最低な男である。

御年80歳を超えた人生の大先輩にそんなことを言ってしまうのはどうかと思うが、
ついご本人相手に心の底から最低ですねぇ!と感嘆の声を上げてしまったことも何度もあるので決して陰口ではない。(と思う)

誤解のないように言っておくと、私は義父のことが好きだし、義父の子供時代の話を聞くのもとても好きだ。

戦時中の話や、戦後の子供時代の話はとても興味深い。

義父は練馬産まれ練馬育ち。
父親のいない貧しい家庭で育ち疎開もできなかったため、幼少期はいつも一人でぶらぶらしていた。
疎開にお金がかかることを知らなかった私はまずそこに驚いた。

母親が仕事に出かける時、いつもサツマイモをふかしたものだけ置いて行ってくれたらしいのだが、やはり成長期でお腹がすいてしまい、ポケットに塩を入れて出かけては近所の畑のトマトやスイカをこっそり食べてしのいでいたらしい。そして結局見つかってこっぴどく叱られていたそう。

そしてお兄さんに赤紙がきた日の話などは、ほんとうに切なく涙がでそうになる。

戦後は米軍の基地に忍び込み、米兵と顔見知りになり焚火に当たらせてもらったり、チョコレートをもらったりしていたらしい。教科書に載っていた、戦後子供たちが米兵にチョコレートをおねだりする『ギブミ―、チョコレート!』を実際に義父がやっていたなんて、義父のお話はとても興味深いし、また感慨深いものがある。

その後マッカーサーの教育改革で小学校に行くことにはなったが、戦後すぐは学校に行っても先生が足りていなかったため、何も教わることができず毎日学校の外で日向ぼっこをして過ごしていたとのこと。
戦後すぐということで学校の校庭に不発弾などが落ちていたりと、戦争の色が色濃く残る子供時代だったようだ。今では考えられないような子供時代を、強く生き抜いてきた義父・・。

しかし

そんな義父が、大人になり
のちになぜ息子の嫁に『最低』という太鼓判を押されるのか。。

義父はとにかく女性関係において最低なのだ。

大人になった義父

大人になった義父は、何か仕事をしなくては・・と当時、練馬の東映撮影所で運転手の仕事を始めた。

高倉健とかしばりを自宅まで送ったもんだよ』と言っていた。
最初、私はなんの話をしているのかわからず、『え?・・・しばりですか?』と聞き返した。

すると義父は、『しばりって言ったら美空しばりに決まってるだろう~』と言っていた。
あぁ、しばりって、ひばりか・・。美空しばりって美空ひばりか・・。

義父は練馬産まれ練馬育ちなので正式には江戸っ子とは言えないのだが
いつも“”のことを”と言うのだ。

だいぶしばりがツボに入ってしまい、なかなか先の話が頭に入って来なかったが、とにかく義父はいつも俳優さんや女優さんを車に乗せて毎日あちこち運転していたということだった。

当時大人気だった女優の佐久間良子さんを助手席に乗せて、ドライブのシーンの撮影に参加したこともあったとか。

普段はロケバスの運転手をしていたらしいのだが、どうやらこのころから待ち時間のロケバス内に女性を連れ込み、ナンパのエキスパートと化していったらしいのだ。

しかし、ちょっかいを出した女性に真剣に好意をもたれると
『面倒だからよォ。そおいう女からはすぐに逃げ出すんだ。』と言っていたので、

え?なんでですか?と聞くと、

そりゃー女に言ってることなんて全部嘘だしね、あることないこと言って騙してるんだから。えへへ』とのこと。。

なにが「そりゃー」だ。
本気で最低である。

数々の女性をナンパして二股、三股は当たり前という生活を送ってきた義父だが、ついに義母と出会い結婚して身を固める運びとなった。

ところがその親族同士の初顔合わせの時、これから妻となる女性(義母)のお姉さんがお酒を飲みすぎ酔っぱらって眠ってしまったらしいのだ。

このお姉さんは、それはそれは美人だった。

義父は酔っぱらったお姉さんを介抱(するふりを)していたが、『あんまりかわいいから口づけをしたくなってねぇ・・・でへへ』と何十年越しにカミングアウトしていた。

とんでもないくそ男である。

結婚の顔合わせでそんなことをしているくらいなので、もちろんその後の結婚生活でも女性がらみの笑えない事件を何度も起こしていることは言うまでもない。

私が主人と結婚してからはもちろん私も義実家へ出向くこともあるのだが、ある日主人から「アイツ(義父)が万が一、襲ってでもきたら思い切りぶっ飛ばしていいからな」と、まさかのぶっ飛ばし許可を出された。

御年80歳を超えた義父が、今更まさかそんなこと・・!と私は笑ったのだが、主人は真顔で「アイツならやりかねない」と言い切った。

長年、自分の父親を見てきたがゆえに出てきた言葉だろう。

なんて信用の無い親父だろうか・・・。

しかしいくら許可をもらっているとはいえ、私が80歳を超えた義父をぶっ飛ばしたりなんぞしたら、図らずも命を奪う結果になりかねまい。

それにいくら膨大な全科があると言っても、やっぱりもう年齢的にそのような気力は失せたのではなかろうか。

などと考えていたある日のこと。

その日は義父を助手席に乗せて、私の運転で実家の近くのスーパーに買い物に行くことになった。

ちょうど信号待ちで止まった時に、
義父は私の車にドライブレコーダーがついていることに気が付くと、

『イヤ~参ったなぁ~!ドライブレコーダー付いてるの?なぁんだ~!
かーっ!参った参った!参ったなこりゃ!』と、参ったを連発していたのだった。

私の認識に誤りがなければ、ドライブレコーダーが付いていて参ってしまうのは悪いことをする人だけである。

悪いことをしない人は何ひとつ『参らない』のである。
その後訪れたスーパーでは、フィリピン系のパートさんに『いい女だねぇ』などと言っていた。

チャンスには食らいつく義父

別の日には、自宅に水道の検針に来ただけの女性に

『暑いから上がっていきなよ。ほら冷たい物でも・・』
としつこく言っているのを一度目撃した。

水道の検針に来ただけの女性が、『あら、そうですか?じゃ、ちょっとだけ・・?』などと言うとでも思ったのだろうか。

背後で会話をすべて聞いている私がいるというのに、きれいな女性が射程距離に現れた瞬間そんなことも忘れ、ものすごい集中力ではないか。

当然ながら水道の検針の女性に断られた義父に、
念のためではあるが背後から『美人だったんですね?』と確認すると
『あぁもう美人だったねぇ~』と悔しがっていた。
御年80歳を超えた人生の大先輩を、なぜか心から尊敬できないその理由は、本人の素行に大きな要因があるということは火を見るよりも明らかである。
そんなわけで私は時折ご本人に、『最低ですねぇ!』という心からの素直な感想をもらしてしまうのだった。

ちなみに

戦時中、子供だった義父が近所の畑からトマトなどを採ってきてしまい
叱られたというエピソードは理解できるのだが、義父はわりと最近になってからも
散歩中に見かけたニラを採ってきてしまい、バレて散々怒られ、謝りたおし許してもらうという珍事件を起こしている・・。

よく散歩中に、捨てられていたジャンバーやらキーホルダーやら色んなものを拾ってくるのだが、現代の大人が人様の畑のニラを採ってはいけない・・。

ちなみに数年前には、どこからか米の入った袋を拾ってきてしまい『気持ち悪い!!!!』と義母にものすごい剣幕で怒られ捨てさせられていた・・。

いったいどこを散歩したらそんなものが落ちているのだろうか。不思議で仕方がない。
義父の散歩コースはミステリーゾーンと言わざるを得ない。

実の父は立派なのか?

さんざんここで義父のことを書き散らかしたが、それでは自分の実家の父は素晴らしい人物なのか?と問われると・・・答えは否である。

私の父は、見た目が本当に矢沢永吉にそっくりだ。
以前からよく似ていたが、歳を重ねるにつれ、歳を重ねた矢沢永吉にどんどん似てきて驚くほどである。

たまに実家に帰ったときなど、今日こそ父が『やっちゃえ日産』などと言いだすのではないか?と警戒してしまうほどだ。

だが、私の父には矢沢永吉と致命的に違う部分がある。

彼は、生粋のケチなのだ。

「男が惚れる男」と称される矢沢永吉とこんなに顔がそっくりなのに、
こんなに『ケチ』・・・。

そのビッグな矢沢とのコントラストでますますケチが際立って見えるという残念な結果に陥っている私の父なのである。

もし、私の父の顔が蛭子能収さんにそっくりだったりしたならば、たとえどんなにケチだろうとギャンブル狂だろうとあまり違和感は無いように思うのだが、
なぜ矢沢永吉に似ている父がケチだと、こんなに器の小さい男に見えるのだろうか・・。

心から尊敬できる父親なんてそもそも幻なのか・・??

うちの父もアレだけど、そっちの父もアレだよね・・?
夫婦でたびたびそんなやり取りをしている、私たちである。

ABOUT ME
富岡紗和子
神奈川県湘南在住、占い師(帝王命術売占い鑑定師・四柱推命鑑定師)ラジオパーソナリティ・エッセイ作家・法人役員(役員暦24年)の富岡紗和子です。 現在、二人の娘を持つ母でありサーフィンとビールをこよなく愛するアラフィフ女子です♪ ⇒ ⇒ 詳しいプロフィールはこちら

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